「My Reflection=@追想」


蔡國強―未来へ飛翔する龍
―火薬の爆発で、人類の始原から未来へと時空を一気に駆け抜ける。前代未聞の手法で世界の現代美術界を揺るがす蔡國強。「火薬」「陰陽思想」「気」という中国古来の文化を用い、独創的発想、造形力、宇宙的視野で壮大なプロジェクトを繰り広げ、導火線を走るスピードであらゆる境界を越え、未来へと飛翔する―
 



「ビッグ・フット」

浅田彰氏と蔡國強氏の対談
広島現代美術館で紹介された北京オリンピック2008
開会式のための花火プロジェクト「ビッグ・フット」の映像

 現代美術は難解でわかりにくいと言われる。しかし、蔡國強の作品は一瞬にして人々の心を捉える。それは、野外での爆発であり、オオカミや車の雪崩落ちるスペクタクルな光景であり、陶器の破片に埋もれた廃船だったりと、蔡作品は一つの型に固定できない作風ながら、いずれも原初的な生命のエネルギーに漲り、観客の身体を直撃する。火薬を使い、破壊の力と創造の力という両義的関係を表現する蔡國強。「火薬は火の薬ですから、命も癒す。錬金術として出発し、漢方薬と同じ成分も含まれている。火薬を使いながら、見えない世界、魂的な世界にもつながる。そして、ビッグバンとかの宇宙生成の物語、宇宙との対話につながっていける。」と蔡さんは言う。スペクタクルな表現で観衆を引きつけながら、創造と破壊が表裏一体の、人類の深淵なテーマへと観衆の心を誘うのだ。
 私が、駆け出しのジャーナリストとしてロンドンに暮らしていた1993年3月のこと。現代美術家の宮島達男さんから「蔡國強という中国人作家が、万里の長城から導火線を引いて爆破、1万メートル延長させた」というニュースを聞いた。現実にそのプロジェクトを見たわけではなかったが、私の体内に眠っていた何かが発火し、沸騰し始めた。「すごいぞ。ぶっ飛んだスケールのアーティストが現われた!」。駆り立てられるように、日本に住む蔡さんに国際電話をかけた。面識さえなかった作家にいきなり電話したわけだから、こちらはドキドキだったのだが、受話器の向こうから返ってきたのは穏やかで優しい声。「万里の長城の導火線から放たれた閃光が永遠に宇宙空間を旅するんです」と、たどたどしい日本語の説明が続いた。詩情あふれる独特なトーンの蔡さんの声を聴いているうち、私の意識は飛び、受話器の向こうに壮大な宇宙空間が広がっていった。それから間もなく、蔡さんが愛妻の紅虹(ホンホン)さんを伴ってロンドンにやってきた。英国のオックスフォード現代美術館が企画した中国現代美術のグループ展に参加するためだった。それが私と蔡さん夫妻との出逢いだった。
 
 その年の夏、蔡さんは宮島達男さんとともに、フランスのカルティエ現代美術財団のアーティスト・イン・レジデンス・プログラムに招かれ、ヴェルサイユの近くで夏を過ごしていたので、私もそこに泊めてもらい、夏休みを過ごした。その4年前、1989年、パリのポンピドゥーセンターで「大地の魔術師たち」展が開かれ、蔡さんのアーティスト仲間が中国から招かれ参加していたが、その最中、本国で天安門事件が起こった。展覧会に拘った作家やキューレータがパリに亡命したことから、93年の夏当時、パリには中国前衛芸術家たちの小さなコミュニティーがあった。彼らはカルティエ財団で作業をする蔡さんのもとによく遊びにやってきた。そのたびに紅虹さんは、ダイナミックな鍋さばきで数々の美味しい中華料理を作ってくれて、私は幸運にも、その宴にいつも加えてもらい、ごちそうにありついた。皆で近くの畑で野菜や果物をもいできたり、蚤の市で買い物したり毎日があっという間に過ぎた。その年の秋、「中国の現代美術の動向」をレポートするため中国旅行を計画していた私にとって、蔡さんたちと過ごした時間は楽しく、私はまだ見ぬ中国に抱かれるような安心感を味わった。私は、93年9月から2ヶ月間中国大陸横断の旅に出て、シルクロードの敦煌などを訪れ、中国の過去の芸術文化遺産に触れる一方、北京、上海、香港では現代美術の動向を調査した。ケ小平の開放政策で経済的には世界に開かれつつあった中国だったが、天安門事件後は思想統制が厳しくなっていた。公共の場でのヌード画の展示さえ御法度で、前衛芸術は抑圧され、現代美術作家が置かれた状況は厳しいものだった。思想性を追求する作家はアンダーグラウンドに潜るか、体制批判とは無縁のポップアートに走るかといった状況だった。このときには、社会主義リアリズム作品が社会ポップにすり替わっただけの拝金主義が蔓延する兆しが既に芽生えていて、中国本土には米国で一山当てることを夢見る現代美術家が多く、北京郊外のアーティスト村ではオークションカタログが回覧され、高値で落札された作品を真似て作品づくりに励む中国人作家も少なくなかった。そんな風潮の中、自らの内面から発する声に耳を澄まし、米国でもヨーロッパでもなく、日本を留学先に選んだ蔡さんはユニークな存在だった。経済的な成功への危惧よりも、アートの本質的、根源的テーマの探求に夢中になっている蔡さんの姿に、私は畏敬の念さえ覚えた。彼は、副業の道をとらず、貧しくとも、作品を作る本業のみに専念する。彼の眼差しにはそういう覚悟の強さがあった。最もお金につながりそうに見えない火薬プロジェクトをやり続けていた蔡さんの作品が、十数年後のオークションでアジア人の現代美術作家として史上最高値で落札されるなど、当時の誰が予想できただろう。しかも、中国の当局から睨まれていた前衛芸術の旗手蔡さんが、中国の百年の夢だった国家事業、北京オリンピックの開会式を飾る視覚特殊芸術監督に選ばれ、1500人の警察と消防隊、軍隊600人を動員し、29のビッグ・フットの花火(注)を打ち上げて凱旋を飾るなど、想像だにできないことだった。
 
芹沢高志さん

 昨年の8月、テレビで夜空に舞い上がるビッグ・フットを見ながら、私はP3 art and envirnmentの芹沢高志さんの言葉を思い出した。90年代初め、当時四谷の東長寺にあったP3のアートスペースに蔡さんがやってきたときのことだ。「無名の中国人作家だった蔡さんが、リュックの中から、大きな経典のような蛇腹状のスケッチブックを次から次へと取り出して、温めてきたアートの構想をすごい勢いで話したんです。アイデアがこんこんと湧き出てくるという感じで、いくら時間があっても尽きることがない。その中に、見えない巨人が国境を疾走し超えて行くといったドローイングがあって、すごいインパクトを受けたんです」。と芹沢さんは蔡さんとの邂逅を懐かしそうに語ってくれた。その後、芹沢さんは蔡国強展「原初火球:プロジェクト・フォー・プロジェクト」を企画し、蔡さんの名前を美術界に知らしめた「万里の長城を一万メートル延長するプロジェクト・外星人のためのプロジェクト10」を組織し成功させた。
 
 見えない巨人=ビッグ・フットのコンセプトは、蔡さん芸術の原点ではないかと私は思っている。蔡さんが子どもの頃、故郷泉州では、海を挟んで隣接する台湾の金門島との極地戦小競り合いが日常茶飯事だったという。かつては、シルクロードの商港として栄え、マルコ・ポーロも訪れたといい、多種多様な人種、宗教、文化の人々が行き交い共存していた港町泉州。蔡さんは、同じ中国人でありながら、政治体制の違いで分かれた中国本土と台湾の争いを身近に幼少期を過ごした。人間が人工的に設けた壁により引き起こされる紛争、引き裂かれる民族。若き日の蔡さんは深く傷ついたに違いない。その想いは、中国だけでなく、日本の被爆者の人々にも向かう。日本にやってくる前、蔡さんは長崎をテーマに絵を描いている。
 
長崎の原爆をテーマにした蔡さんの作品

  画面には時の止まった時計と蔡さんの沈鬱な自画像が描かれ、地上のさまざまな紛争に傷ついた若い作家の苦悩が滲み出ている。一人では担い切れない人類の痛みを乗り越えるため、蔡さんはビッグ・フットを創出したのではないか?宇宙的視点にたてば国境など無意味になる。言語や民族、思想の違いによる心の壁、あらゆる境界を超えよう。もっと広い視野に立とう。と蔡さんは芸術作品を通して、私たちを誘ってきたのではないか。境界を超えれば、争いも起こらず、平和で調和した世界が現れる。境界を超える見えない巨人=ビッグ・フットは、芸術作品や宇宙エネルギーの気の化身かもしれない。しかし私には、中国、日本、米国他あらゆる国境、文化の壁を軽々と乗り越え疾走してきた蔡さん自身の姿に重なるのだ。
 
 昨年からの一年は、グッゲンハイム美術館の個展と北京オリンピック開閉会式の花火の演出という大仕事を果たした蔡さんにとって、キャリアの絶頂期というべき特別な年だったろう。21世紀に入り、北京オリンピックに向けて驀進する中国の経済発展に呼応するかのように、中国現代美術への人気は急上昇し、2006年には中国人作家の最高値での落札が相次いだ。2007年には蔡さんの火薬ドローイングがクリスティーズで950万ドルという、中国現代アート史上最高値で落札された。しかし当の蔡さんはそんなことはどこ吹く風かといった様子で、バブルや中国熱で沸騰する現代美術市場から距離をおき、超然としている。
 
 私自身は拝金主義に席巻された中国アートシーンや商業主義が蔓延する現代美術界にうんざりし、次第に距離を持ち始めていたが、世界の美術界の寵児の立場に登り詰め、美術市場でも最強ぶりをみせた当の本人の蔡さんが、文人のように飄々と状況を達観し、芸術の本筋を歩んでいる姿を見て、心洗われる思いがした。世の中でもてはやされているアートの中に「俺が俺が」ばかりを主張する自我表現に矮小化されただけの代物がいかに多いことか。そんな中、突き抜けたような蔡さんの存在に、私は救われる。今までたくさんのアーティストに出会ってきたが、宇宙の摂理や生命の根源的エネルギーをこれほどダイナミックに、詩的に、美しく描ける作家を私は知らない。蔡さんの作品には、美術館の壁を軽々と飛び越えて世界の閉塞感を打ち破る力を持っている。
 
北京オリンピック2008開会式のための花火プロジェクトの
ドローイングと蔡さん(上部にビッグ・フット)

  昨年一年間、私の目には、黒人初の大統領への道を駆け上るオバマ氏と蔡さんの姿が重なってしかたがなかった。蔡さんは、アーティストの道を選び、視覚芸術を仕事の場としているけれど、彼は現代美術の狭い世界などとっくの昔に超えている。それは、泉州という独特の開放的気風を持った港町に生まれ育ち、文人画をたしなむ父の背中を見て育ち、文革の嵐が吹き荒れる中国大陸の激動の時代の青春を生きた出自のせいかもしれない。蔡さんには、中国の文人の系譜に繋がるような詩情があり、民衆の心を鼓舞する革命家のような思想性があり、僧侶のような穏やかな品格がある。先日放映されたNHK制作の番組「未来への提言」の中で、蔡さんは「満足感」をメッセージとして残し、2年前には、「包容性」という言葉を私に語ってくれた。飽くなき欲望に駆り立てられるように繁栄に向かって突っ走ってきて、もうこの先に発展はないと突きつけられた私たちにとって、事足るを知る「満足感」はなんと的を得た言葉だろう。そして、弱肉強食の競争原理が今も幅をきかせる中、「包容性」を説く蔡さんの言葉は深く響いた。

 (注)ビッグ・フットのCG疑惑
 北京オリンピックの開会式のテレビ中継で、29のビッグ・フットの花火の画面がCGだったため、花火自体もCGだったかのように伝わったが、CGが使われたのは花火の爆発音と花火の画像のタイムラグが出てしまうためで、実際には、29のビッグ・フットの花火は上げられていた。