「いわきの物語」

完成間近の「いわきからの贈り物」と蔡さん
2008年2月 NYグッケンハイム美術館にて

 龍が天空に駆け上るような勢いで、世界美術シーンの頂点に立った蔡國強。しかし、その作家としての原点を作ったのは日本の田舎、いわきに住む現代美術とは無縁の一般の人々だった。蔡さんが「いわきの仲間」とよぶこの人々は、蔡さんの夢を叶えるため、浜に打ち上げられた廃船を引き上げ作品化するため無償で働いた。彼らは、20年前、無名の、片言の日本語しか話せない蔡さんの生活支援をし、夢と共に生きることを喜びとした。世界的スター作家になった蔡さんは、廃船を使った作品をReflection=i邦題「いわきからの贈り物」)と名付け、代表作品の一つとして、重要な国際展で展示する。そして、友情の証ともいえる「いわきからの贈り物」が展示されるたび、蔡さんはいわきの仲間たちを招き、作品づくりの時間を、今も共有するのだ。
 
 「私は信じたい」展は、2008年2月、ニューヨークのグッゲンハイム美術館を皮切りに始まった蔡國強の巡回展で、彼の作家としての20年の軌跡を総括する回顧展だ。今展が作家個人のキャリアにとって最も重要な個展になるばかりでなく、現代美術史の金字塔になると直観的に感じ、やむにやまれぬ想いに駆られ、私は厳寒のニューヨークを訪ねた。展覧会の設置真っ最中の蔡さんにインタビューすることになった私は、図らずも、Reflection(「いわきからの贈り物」)の設置現場に出くわした。陶器を割る耳をつんざく轟音、粉塵で霞がかった展示室の中央に横たわる朽ちた木造の船。その傍らには蔡さんと彼を黙々と手伝ういわきの仲間たちの姿があった。工事現場のような騒然とした現場で、目は粉塵に霞み、咳も出る。そんな中、ひっくり返ったりしながらも、身を粉にして働いているいわきの男衆たち。現場に居合わせた真木さん、志賀さん、藤田さんと挨拶程度の言葉を交わし、私は他の展示を見るため船の部屋を離れた。「美術関係者とは風貌が違うし、潮の香りがするような素朴な感じの人たち。もう少し話してみたいな」そう思って、船の展示室に戻ると、作業は既に終了していて、いわきの仲間たちの姿もなかった。打って変わった静けさの中、陶器の破片に埋もれた船だけがじっと横たわっていた。そのとき、いわきの浜が一瞬立ち現われたように感じた。それが、私といわきの出逢いだった。
NYグッケンハイム美術館の
「いわきからの贈り物」設置現場 
左から志賀さん・真木さん・藤田さん・蔡さん・呉さん

 ニューヨークの『私は信じたい』展が一般公開されると、美術館の周辺にはすぐに長蛇の行列ができ、館内の螺旋のスロープもお祭り騒ぎのように賑わった。火薬のプロジェクトの映像に5歳の子どもや年配者までがかぶりつきで見入っている。現代美術に無縁な人々や子どもたちまで夢中にさせてしまう蔡さんの作品力に、私は脱帽してしまった。ニューヨークの蔡國強展は、当館の入場者最高記録のピカソ展を凌ぎ、3ヶ月の開催期間中35万人という新記録を打ち立てた。
 
 帰国後、いわきから届いた資料に掲載されていた一枚の写真に私の目は引付けられた。いわきの浜辺で肩を寄せ合いながらお弁当を食べている蔡さん一家の姿だ。おそらくはかつて、いわきに住んでいた頃の写真だろう。今や、国際的スター作家としての貫禄十分な蔡さんだが、見知らぬ土地で、作家としてのキャリアを踏み出したばかりの、繊細で不安げな面持ちだ。蔡さんが作家としての基盤を築いたいわきとはどんな
いわきの浜辺でお弁当を食べる蔡さん一家
(1993年)

Photo:Tadashige.Shiga
土地柄で、彼を支えたいわき魂はどんなものだろう。そんな思いにかられ、志賀さんに連絡をとった。
 
 私が水戸経由でいわきを初めて訪れたのは、昨年の春のことだった。途中、志賀さんの勧めで陶芸家の真木さんの工房に立ち寄ることになった私は、手みやげを買うため水戸芸術館のミュージアムショップに飛び込み、東京の有名デザイナーがプロデュースしたという干し芋チョコレートを買い求め、真木さんの工房に向かった。

 真木さんはてんこ盛りのまんじゅうを用意して待っていた。歯を失っていたせいか、やかんがひゅーひゅーいうような味わい深い声で話すので、日本昔話の語り部のようで、私の心は和み、春うららののどかな時間が流れた。志賀さんが小さなサランラップの包みをポケットから取り出した。それは、蔡さんの故郷でもある福建省から持ち帰ったという秘蔵の烏龍茶10gほどで、真木さんがうやうやしくお茶をいれてくれた。一口すすった私は、目をまるくした。それは、今まで味わったことがないほど甘露な烏龍茶で、私はそのしずくを舌の上でころがせながら、至福のひとときを味わった。志賀さんは「これも」といって、さえないプラスチックバッグに入った丸干し芋を取り出したので、私もすかさず、例の干し芋チョコレートのイケテル風パッケージを差し出した。真木さんのまんじゅう、志賀さんの丸干し芋、私のチョコレート菓子が木株のテーブルの上に並んだ。競うつもりもなかったのだが、3つのおやつを食べ比べて、私はすぐさまに自分の負けを悟った。「すいません。無粋なお土産持ってきて。」参りましたとばかり私は頭を下げた。志賀さんの丸干し芋はダントツに美味しくて、のちほど茨城県の製造元に注文したほどだ。真木さんのまんじゅうはまーるい味わいがあった。チョコレート菓子はパッケージも中身も洒落た感じに作ってあったが、原材料の干し芋の味がチョコレートのそれに殺されていた。私は勝負を挑みにきたわけでもないのに、一本
真木さんの茶の間
お茶を入れる真木さん(右)と志賀さん(左)
とられた気がした。「うーん。いわき手強し」。ミュージアムで売っていたし、知人の実力派デザイナーのプロデュースしたチョコレート菓子だからと安心して、試食もせずお土産にもってきた私は、自らの見識のなさを恥じた。十数年ロンドンを拠点にしながら、建築、デザイン、アートの世界シーンをレポートすることを生業にしてきた私だったが、ここ数年、表層的な格好よさや洗練だけを追求するクリエーターたちの傾向や商業主義の蔓延する業界の風潮に馴染めなくなり、もう一度、アートやデザインの本質的な力について学び直したいと思っていた矢先、図らずも私は「いわき」の地を踏んだのだ。志賀さん持参の「丸干し芋」は、「あるがままの美味しさ」で私の舌を虜にしたばかりでなく、「五感で本質を見極めよ」と、私にじわじわと迫ってくるような気がした。いわきには特別の名所名産があるわけではないのに、東京などの都市文明の中で失われてしまった大事なことが、今も息づいているように思えた。私はいわき市内や浜辺を歩き、いわきの仲間と交流をしていく中で、無名の蔡國強を見出し育てたいわきの底力を発見していくことになるが、丸干し芋のエピソードはその旅の序章ともいえる象徴的なできごとだった。