「ビルバオ」
ビルバオの全景(ケーブルカーで登った山から撮影)

 スペイン北部、山間部からビスカイア湾に注ぐネルビオン川沿いに発展したビルバオは、北にある港町、あるいは地元色を残す周辺地のせいか、日本の東北地方にある港町いわきのイメージと重なる。19世紀造船業で栄えながら1970年以降衰退の一途を辿り、荒廃とテロが蔭を落とす街になったビルバオ。ところが、20世紀も終わりに近づいた頃、没落した重工業のこの街が世界から一気に脚光を浴びることになる。地元の自治政府がニューヨークに本拠をもつグッゲンハイム美術館を誘致し、1997年、建築家フランク・ゲリー氏の設計による有機体のような現代美術館グッゲンハイム・ミュージアム・ビルバオが完成したのだ。この美術館は、スペインの北外れの地方都市と当時70歳の建築家ゲリー氏を一気に世界のスターダムに押し上げてしまった。ビルバオは、独創的な現代建築とアートを起爆剤にした都市再生の成功例として、世界に名を馳せることになった。中世から連綿と受け継がれてきた自治の精神バスク魂が、グッゲンハイム誘致に成功、文化による街の再生という大快挙をやってのけたのだ。そのことは、文化力で人々や街が豊かになることが、テロや暴力を克服する道であることを世界に示し、ビルバオが世界のランドマークに輝いた瞬間だった。
いわきチーム
(グッケンハイム・ビルバオ前にて)

 1999年、ビルバオを初めて訪れた時、私はグッゲンハイムの独創的な形態の建物に度肝を抜かれ、わくわくしながら美術館の回りを一周したものだ。そして、街まるごとが若返ったかのように、道々に生き生きとした空気が流れ、行き合う人々の声には未来への希望と夢が満ちていた。ネルビオン川は、かつては水運力で地域一帯の発展を支えた街の動脈的存在だったが、グッゲンハイムはその川の畔に移植された心臓のように、新鮮な血流を老朽化した街に送りこみ、未来志向のビルバオに変容させたのだ。
 そして、10年後の今年3月、私は再びビルバオの地を踏んだ。蔡さんの「私は信じたい」展の最終巡回地がグッゲンハイム・ミュージアム・ビルバオで、「いわきからの贈り物」の設置のため、いわきの仲間たちが、私もチームの一員として伴ってくれたからだ。私は、彼らと10日間ほどこの美術館に通い、銀色に輝く鯱のような美術館を朝に夕に一緒に眺めた。美術館の周囲にはルイーズ・ブルジョワの大蜘蛛の彫刻やダニエル・ビュランのストライプが点滅する橋があり、山々を背景に現代建築とアートが楽しげに響き合っていた。川沿い一帯は広々とした遊歩道として整備され、ジョギングや散策する人々で賑わい、ゆったりとした豊かさを感じさせた。10年ぶりに見るビルバオは、地元住民が憩える川沿いを中心に、コスモポリタンな輝きを放ち、それでいて、旧市街には古い街並やバールのハシゴといった伝統、土着性が残っている。スペインの北外れのビルバオは、21世紀のあるべき都市像、グローカル都市を体現していた。
グッケンハイム・ミュージアム・ビルバオ
付近の風景
完成した
「いわきからの贈り物

 そのビルバオで、3月16日、「私は信じたい」展が開幕した。オープング直前、私は「いわきからの贈り物」の展示室を一人訪れた。誰もいなくなった展示室の中央で、いわきの船は、白い陶器を抱え込むように身を横たえていた。先頃までの設置現場の騒音が嘘のように、静謐な時間が流れている。天井から降り注ぐ柔らかい光に包まれて、いわきの船は、気骨ある老体の威厳を見せていた。朽ちた木造船の残骸にすぎないのに、船首をすくっと上げ、在りし日の勇壮な姿を思わせる。80年ほど前は北洋船としてサケ、マス漁で北の海原を駆け巡った船。その後、役目を終え、廃船として海に沈められ朽ちるにまかせていた。蔡さんといわきの仲間たちが、この廃船をいわきの浜から引き揚げ、新しい命を吹き込んだ。いわきの船は、沈黙しそこに在るだけだが、私にさまざまなことを語りかけてくる。この船がいわきとの縁を運んでくれたんだと感慨にふけっている時、この1年のできごとが走馬灯のように脳裏を駆け巡った。その時、英語の作品名Reflection≠フ言葉とともに、蔡さんがこの作品に込めた深い想いが、電撃のように体の中を駆け巡った。
巨大な紙を敷いて組立てる廃船の角度や大きさ
を確認する蔡さん(右)と志賀さん(左)
左隅に積み上げられているのは分割された廃船のパーツ

 蔡さんは火薬だけでなく、船もその作品のモチーフによく使う。かつて、蔡さんの故郷福建省からの船が日本に、茶、陶器や朱子学などを伝えた。船はお茶や陶磁器といった積み荷だけでなく、その背景にある文明や文化、人々の記憶、物語といった有形無形のものを運ぶ表象だいわきの船は、蔡さんにとってパーソナルな記憶をいっぱい積んだ特別の船だと思う。前途不安なアーティストの卵だったころ、仲間たちと出逢い、そこに暮らし、自らの芸術の原点をみつめたいわき。そのいわきの海岸に横たわる、廃船の残骸、龍骨を見つけ、いわきの仲間たちと力を合わせて作品を作った。「この土地で作品を育てる。ここから宇宙と対話する。ここの人々と一緒に時代の物語をつくる。」20年前のその言葉通り、蔡さんは、さまざまな作品をいわきの仲間たちとつくり、宇宙と対話し、今も、彼らと一緒に「いわきの物語」を紡ぎ続けている。「いわきからの贈り物」は、その積みきれないほどの想い出をいっぱい搭載していて、その記憶の断片を私のところまで運んでくれた。そして、それは蔡さんといわきの仲間の個人的な想い出に止まることなく、普遍性をもって、人々の心を揺さぶる。
 
 わずか10日間の設置期間だったのに、その間この船の前を往来した数々の人々の姿、繰り広げられた光景が目の前に蘇った。美術館入りした初日、展示室の壁際に、バラバラに解体された廃船の部材が置かれていたのを目にし、これから始まる立体パズルのような組み立て作業の行程を想像し、目の前がくらくらしたときのこと。「皆、年をとってきましたから、怪我しないように、安全、病気しないように。それから楽しくね」と蔡さんは言い、いわきチームは作業に着手した。巨大な紙を展示空間の真ん中に敷いて、真木さんが、当たりをつけ、そこに組み立てる船体の形をひゅーっと一気に描いた。いわきの仲間は美術館の展示設置のプロではなかったが、メンバーの適材適所の役割分担、手際のよさに私は目をみはった。蔡さんと折衝しながら現場のマネジメントを軍師のようにこなすリーダー役の志賀さん、クレーンやフォークリフトを自在に動かしガンガン仕事をこなす現場監督の武美さん、作品制作の行程などのファイルをばっちり管理し、メンバーの渡航手配や総務一切を引き受けた菅野さん、芸術的センスを発揮して作品設置に拘る真木さん、直足袋姿で現場をひょいひょい飛び回り、ビルバオ探訪のガイドを買ってでるほど地元の地理や歴史に詳しかった藤田さん。皆が食事をして休んでいるときもずっとカメラを回し続け想い出のシーンを記録し続けた名和さん、あらゆるシャッターチャンスを逃さず、きらきらした瞬間を切り取り続けた小野さん。お金になる仕事でもないのに、自主的に本領を発揮しながら黙々と動き回る姿を見ながら、私は彼らを、「いわきの七人のサムライ」と呼ぶようになっていた。
廃船を組立てる
いわきチーム
陶器の破片を撒く
グッケンハイム財団の
トーマス・クレンスさん

 そして、彼らを手伝う地元スタッフホセさん、アナさん、ナザさん、キコさんたちも、味わい深い面々だった。特にアナさんは、ガスバーナーで火の粉を散らしながら鉄を焼き切り、女だてらに危ない仕事を黙々とこなし、ほれぼれする働きっぷりを見せた。現場では、A1、A2、・・・Eと番号の付された部材を、巨大な型紙の上に置き、個々の部材の塊を接合するのだが、船の部材は度重なる設置、解体作業、運搬を経て、ひどく痛んでいた。こっちをくっつければ、あっちに隙間が空くという状態で、部材同士の接合は難航を究めた。緊張感が高まり、展示室は荒っぽい現場と化す瞬間もたびたびあったが、ときどき顔を出し指示を出す蔡さんの穏やかさに、蔡スタジオのテクニカル・ディレクター辰巳昌利さんの助けに、私たちは救われた。そして、蔡夫人の呉紅虹さんとお嬢さんの文浩さん、本展のシニアキューレーターのアレクサンダーモンローさん、蔡スタジオのマリルーズ・ホヨスさん、レスリー・マーさん、チンヤン・ウオングさん、サユリ・アールスマンさん、アルベルトさん、ボニー・ヒュイさん、イーフア・リーさん、メイメイ・ゾウさん、アフアンさん、そしてジェニファーさんといった魅力的な女性たちの笑顔に包まれ、いわきの男たちの士気はぐんぐんあがった。
 
 作業から一週間目には既に船は出来上がり、ニューヨークから駆けつけたグッケンハイム財団のトーマス・クレンス氏がクレーンから陶器の破片を撒く儀式を敢行して作品は完成した。「すばらしい。ぼくが設計した空間に抱かれるように作品が見事にはまっている!」美術館の設計者ゲリー氏が、いわきの船の前にやってきてうれしそうに言った。「この船はね、すばらしい幸運を運んできたんだよ。この船の作品を買った途端に、ぼくの妻が妊娠し、結局2人の子宝を授かったんだから。」と「いわきの贈り物」を購入したスイスのコレクター、カスパー・シューベさんはうれしそうに逸話を披露し、美しいシューべ夫人ドミニクさんは彼に寄り添いながら優しく微笑んだ。いわきの船は実際、幸運を運んでくるのかもしれない。
 ニューヨークの「いわきからの贈り物」設置現場では転倒し歯を失った真木さんは、その後運命の女性ペギーさんに出逢い、今回は彼女を伴ってビルバオにやってきた。いわきの船は、拘った人々のさまざまな記憶や想いを運んでくる。そして、その前を通り過ぎただけの観客だったとしても、その人はふと足をとめ、その船に込められた物語に耳を傾けるのだ。聴こえてくるのは、その人自身の心の底に眠っていた記憶や物語かもしれない。
 「いわきの物語」には、「めでたし、めでたし」の終わりはない。これからも、ずっとずっと、おもしろおかしく、続いていくから。
                           2009年4月吉日     玉重佐知子
                                (本文内の写真は玉重氏撮影)