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私自身はごく普通な中国人の学生、青年です。日本語もしゃべれなくて。日本に行く前から銀座には千軒のギャラリーがあると聞いた。千軒もあるならチャンス千回もあると思ったですね。来日するときは絵をたくさん持っていった。キャンバスの絵とか水彩画とか油絵ね。学生の時はいっぱい風景絵画も人物絵画も描いたですよ。全部キャンバスから木枠取って巻いて日本に持っていった。そして銀座の画廊に一軒一軒持って行くとほとんどオープンしてはダメと言われて、もう見る時間ないから。あなたみたいな学生いっぱいあり過ぎると。びっくりしましたが、そんなに簡単ではないと分かったです。結局千軒もあって千のチャンスがあるけど、見てくれなかったらチャンスない。結局0と同じ。そういうこと分かった。
街の画廊がなかなかチャンスくれないので、美術館行ってももっと難しいですから。田舎行ったらよくなるんじゃないか。それは思想につながるんですよ。街から革命できないなら、田舎で人々と対話して力をつけて田舎から育ててきてやがて街に入ること、街を包囲して街に入ること、そういう毛沢東的な思想を・・・私たちは文化大革命時代に教育を受けましたから、毛沢東のことを自分なりの方法論になった。
蔡さんが住んでいた家の上空から太平洋を臨む
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ちょうどいわきの、友だちの紹介でね、鷹見さんという批評家の紹介で・・・彼のお父さんはいわきの工場長でね、いわきの人が画廊を経営していてね、鷹見さんと藤田さんが知り合って・・・また藤田さんが東京に来て私と会ったですよ。藤田さん私の絵見たら面白い、じゃあ是非いわきに遊びに来てください。来たら絵をいわきのいろんな人に見せて。
いわきの人は私に懐かしさとか新しさを感じて親切にしてくれたですよ。外国のアーティストと会うこと、チャンスが少ないこともあって、私自身日本語少ししゃべれて、人と会いやすい人間ですからね。みんなすぐ親しい友だちになって、よくいわきに遊びに行って展覧会やってたですよ。最初は日本円で千円から始めてね、一点千円で、高いと10万円もして、そういうことを展覧会のとき70〜100点売れますね。でも千円ですから、額縁もあるから実際のもうけは数百円ですけど。でもとても自信持って、生きられる自信になったですよ。
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