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蔡氏へのインタビュー |
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いわきで住むとそのスタート始めると、私と友だちの方々と自分の持つコンセプト説明します。自分が何をしたいか、協力していただけないか、コンセプト説明しながら。それは毛沢東と同じやり方ですね。宣伝してね、人民や民衆に革命のコンセプト、私の場合アートのコンセプト、人々に説明します。分かりやすくて、あぁそうか、そういうアートなら協力してコラボレートしても面白いね、とかね。そして今度は一緒に作品を作る、美術館に展示する、さらに地平線プロジェクトのように、一人1000円で1m買うことで、5km、5000mの海での地平線プロジェクトを作りました。
地平線プロジェクトやったときも、市民たちが自発的で家の電気消しましょう。なぜならば街の電気消すことで海の地平線、もっときれいに見える、見せる。なぜなら今回のコンセプトは地球の地平線、輪郭を美しく描くことで、こちら側は地球から宇宙と対話する。向こう側は宇宙と、彼岸と対話するだけじゃなくて、宇宙からも地球がきれいに見えるようにしたいと思った。なぜならあの時かなり地球の持つ様々な問題みんな関心になったからね。環境の問題とか、あるいは科学万能で物質どんどん増えるけど人間の幸福あるかどうかとかね。そういうことをもう一回大きいスケールで、人間の欲を超えて、もっと大きな未来とか大きなビジョンと対話することになりましたね。そういう時代の動きあったからですね。
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引き上げる前の廃船
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いわきを選んだわけではなかったけれど、いわきは私にとってすごく運がいい場所。なぜならば特に適度でした、その時ああいうところに出会ったのは。
日本は明治以降国際化と近代化しようとずっと模索してきた。私が日本に来たとき日本は反省の時期だった。その国際化と現代化の求めることは実は西洋化になっちゃったんじゃないか。西洋化になったことで日本独特の美しさ、日本人の美学とか、日本人の価値観とか、ちょっと弱くなって、そのことで疑問になったですよ、日本ではね。
西洋の後ろ、特に戦後はアメリカの後ろを続けてきたのは、いいことだと思ってきたけど、アメリカの西海岸からニューサイエンスとかいろんな新しい哲学、運動、いろんな・・・混沌学とか、よりアジアの哲学に近い、より人間と自然を調和できる、人間と生き物、あるいは機運(?)、生活の幸福、より生活しやすくなる、もっとこういうコンセプトと動き入ると、アジアの哲学に近くなっているじゃないか、とびっくりしてね。だから環太平洋時代とか言葉が出ましたけど、結局共鳴できる時代になったじゃないですか。アジアの思想と西海岸の動きは一緒になったじゃないか。
私から見るといわきは太平洋に面した街ですから、ここから太平洋とつながって、この小さい田舎でも、ここでうまく本当の本質の仕事をすると、世界と対話できる。小さい田舎から宇宙とも対話できる、ということは環太平洋時代も超える。
今から考えると日本に行くことは昔の中国にもどったみたいな感じです。なぜなら文化大革命長かったから、昔の時代にあった孔子の思想とか、人間と自然との調和など、だいぶなくなっていた。しかし日本に行くと、その礼儀正
廃船引き上げ時のひととき
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しさ、日本人の美学のいろんなやりかたは昔の中国に戻ったと感じ受けた。
と同時に、日本は何でも東対西を比較して・・・西とはアメリカですけどね・・・美術も文化も何でも対比してがんばった。がんばり過ぎたけどね。それはしょうがないけど。私にとってそれもびっくりした。中国はあまりに自己中心過ぎたから。中国は世界の中心だから貧しくても毛沢東の思想があって、本当に社会主義が正しいかどうか、信じているうちは正しい、世界の中心だったから。日本に入るとあまりに何やってもアメリカを対象しながら考えるからビックリしましたですね。東対西の文化の・・・なんか苦しさの中から・・・それを超えて外星人、地平線を越えてもっと大きな未来ともっと大きな世界と対話をしたら、その方が可能性あるから、無限の力と対話した方が、東と西の対立を「バン!」としたらいいじゃないか、という背景があったですね。
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