Photo:Ono Kazuo
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1
 火薬のエネルギーは宇宙や
 自然のパワーにつながる

2
 予算を凌ぐ
 いわきの人々のパワーは・・・

3
 太平洋に面した街から
 宇宙や世界と対話する

4
 面白いアート、美しいアートを
 作り出したのは・・・・

5
 沈んだ船が光を取り戻し、
 記憶をも戻した

6
 いわきの人々と共に味わった
 夢のような瞬間

7
 時代の物語り
 蔡國強氏への想い
    Iwaki Team Member
蔡氏へのインタビュー
「地平線プロジェクト」のときの印象的なエピソードは?

あの季節、いわき寒かった。すごい寒い。で最初のテストは甘かったです。火薬はプラスチック(ビニール?)、火薬は海で燃やすと当然消えると、火が走れないとみんな思う。で、私はもしその導火線と火薬をプラスチックの中に入れれば、そして次々爆発していけば、もちろんプラスチックは割れるでしょう、でも割れて水が入るけど、火はさらに早く行くですから、私の想像ですよ、うまくいくじゃないかと思った。でもみんなはそれは・・・火と水の対立、闘うは不可能と言いましたね。

そして私はボランティアの人たちと一緒に、農業の植物を守るためのプラスチックのホースありますね、ああいうもの短く使っているけど私たちは長〜い100m200m買って、プラスチックの中に入れた。でもあの時はあまりにも寒かったからプラスチック結構割れるですよ。

5000mの導火線をプラスチックの中に入れるだけで大変だった。さらにテストしたら一重や二重は失敗して三重になったら・・・プラスチックはかならず途中割れる、長い長いですから。水が入ってもすぐ二重には入らないから、そういうことを考えた。寒い中でボランティアのみんなと一緒にそればかり延々やりました。5000mは一人ひとりのみなさんの力で、1m千円で買っただけじゃなくて、みんな力で防水しようとがんばったですよ。

船も借りて夕方海の上に置いたですよ。日本の海上保安隊、水上警察、出てきました。手伝ってもらいました。いわきの5kmの間に10の港がありました。だいたい一つの村に一つずつ小さな港あるんですよ。言わないと船がやってくるです。5kmも置くと、ガンとやったら(導火線を)切ってしまう。だから水上警察が何艘も出てくれて、もちろん前もって言ってますけど、・・・岸側に海に向かって見てくださいとか言いました。ボランティアもいろんなメッセージの紙貼っていろんな店においてくれた。

そしてあの夜は良かった。夢みたいな夜でしたね。水上警察によると一日二日くらいしか静かでない。夕日美しかったし、みなさんと一緒に導火線を海に渡すですよ。そして岸からは真っ暗な海を見るですよ。点火したらサーっと走る。すると「がんばれ、がんばれ」とみんな言うですよ。そして消えなかったです。もう・・・5km、消えなかった。結局一緒に作ったんですよ。皆さんの力、パワーで一緒に最初から最後まで、一本の気がした。

プラスチックケースに導火線を入れる作業 寒かったが火薬を使うので火気は一切禁止



成功した瞬間の気持ちは?

海面を走る炎
覚えています。私は「ありがとう!」と。みなさんは私に「おめでとう!」と。私は「いや、いわきのみなさんおめでとうございます」。自分の作品じゃないから恥ずかしい。自分の名前ばかり出るけど、むしろいわきのみなさんと一緒に作ったものですから。だって私一人だったら5mも作れないですよ。あんな5000mも作れるのはやはりみなさんのおかげ。

港、一箇所反対してもできなかった。あんな遊びダメといわれたらおしまいですけどね。みんな理解してくれました。


今振り返って、自分のキャリアの中でいわきの個展、プロジェクトの位置づけは?


いわきの個展は私にとって美術館では初めての個展でしたから。その後私は世界中のいろんな国で、美術館で個展をしました。メトロポリタンでもしました。中国人では初めてでした。しかも生きているうちに。グッゲンハイムならアメリカ人でも難しいことですけど。

でもいわきの美術館での個展はプロのアーティストとしてプロの美術館で初めての個展ですから、本当に自分の美術史の
地平線プロジェクトメンバーとボランティア
(右から2番目が蔡さん)

一ページ、記念碑です。しかもこの一ページはすごい巨大な美術館のシステム、アートの力を使ってやったんじゃなくて、アートと関係ない、あまり普通美術館に行かない普通の人の力を借りて展覧会をやったことについては私の一つの大きなスケール、未来のスタートです。

なぜならば美術館はアートのシステムとしていい舞台ですけど、あれを使いながら、しかしあればかりしすぎると美術館の奥に入ってしまう。むしろ美術館の外の宇宙とか、村とか人々と一緒に新しいやり方で美術史(品?)を作る可能になる。現代美術は分かりにくい、少人数だけの遊びなんじゃなくて、もっと時代とか人々とか、共感できる可能性。逆に美術から外。とてもいいですね。それが私の、いわきの後から今まで続けてきた一つ方法論。大きな実践の・・・大事な聖域です。


 
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