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蔡氏へのインタビュー |
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あの時代、そういう小さい田舎・・・太平洋の小さい町から、東とか西を越えて、あるいは環太平洋時代の中、もっと大きな宇宙と対話していきましょう、という物語を作りました。アーティストじゃなくても、アートや美術館関係なくても、文化を創れます。美術品(史?)を作れます。面白いことできるです。楽しくできます。気持ち良くアートを作れます、という物語を作りました。
あるいは、あの時意識しなかったけど、あの時まだ日中関係複雑じゃなかったけど・・・歴史的にはいろいろあったけど・・・あの時まだそんなにいろんな問題なかった。その後いろんな・・・中国の経済発展とか、いろんな摩擦、歴史的問題あったけど、しかしあの時のスタートから今まで、私といわきの方はいつも歴史も政治も超えるですよ。国とか民族とか関係なくて、お互いに親しい人間同士で友達同士で、なんか兄弟みたいで、一緒にいろんな仕事をする。今いわきでは「蔡國強通信」があって、私が何か海外でなんかあるとお互い教えたりする。ああいうことを聞くと私、温かいですよ。
ただ一人の若い中国人で、本当に下手な日本語を使って、東京でうまくいかないやつがいわきにやって来て、そのときから約20年間・・・88年からいたと思いますけど、だから20年間・・・ずう〜っと、物語を作ってきたですよ。その物語は日中関係のことから言ってもすばらしいものになったと私は思います。本当にいわきの方たちに感激していると同時に、そのこと是非人々に伝えたい気持ちです。自分のアートを伝えたいじゃなくて、歴史の問題でも政治でも超えて平和的な美しい人間社会を作れるということ。しかもそんなすごい話じゃなくて、静かに一日一日「日々」ですね、共感できることの美しさ、是非伝えたいですね。
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いわきとの物語は終わっていない。終わらない。
・・・なぜなら健康的、美しいものですから、終わらないものです。
1994年廃船引上げ時海岸にて昼食をとる蔡さん家族 |
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いわきの人々に何かメッセージは?
何か新しい言葉を言うより、最初にいわきにいた時に作った言葉を言いたいです。
この土地で作品を育てる。
ここから宇宙と対話する。
ここの人々と一緒に時代の物語をつくる。
みなさんありがとうございました。
是非また一緒にやりましょうね。。
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