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From The Pan-Pacific


いわき
地平線プロジェクト

蔡國強との出会いは10年以上に遡る。私が出資し親友の藤田忠平君が引き継いだ株式会社ギャラリーいわきで蔡國強展を開催することになった時のことだった。

個展の準備後、藤田君の自宅へ蔡さんを招いて食事をすることになり数名の知人が集まった。この頃の蔡さんはほとんど無名であったが、藤田君は良い絵を描くと高く評価しており、蔡さんに対してかなり力を入れていたのを記憶している。

 食事には、さしみが出された。蔡さんはわさびが好きだという。わさびを食べた時のツンと鼻に抜ける感じが作品を創り出す時の感触と同じだと話してくれた。日本語がかなりじょうずなのといろいろなことをよく知っており話題が豊富なのが印象的だった。おかげで絵にほとんど興味がなかった私が、藤田君の強い勧めと蔡さんの人柄に惹かれ、この個展で5枚の作品をコレクションしてしまったのだった。

ギャラリーいわきでの個展開催の翌年、万里の長城10000m延長するプロジェクトを見に藤田君といっしょに中国に行くことになった。はじめての中国は広大で嘉峪関までの道のりは飛行機2時間、マイクロバスでは17時間もの行程をかけて万里の長城の最終地に夜遅く辿り着いた。

早朝からプロジェクトの準備を手伝ったが、長旅の疲労と寒さで風邪をひいてしまい、帰路の途中北京に着いた時には咽をやられ熱は40℃を越えていた。ホテルの一室で高熱にウンウンうなされているところへ、蔡さんが訪れてこう言った。「志賀さん、中国では風邪をひく方法を研究しているのですよ。風邪をひいて熱が出るとその熱で他の菌が死んでしまうのでたまに熱がでるのは良いのですよ。」蔡さんの話には妙に説得力があり、気が楽になったのを思い出す。

 この万里の長城プロジェクトを終えての帰り道、蔡さんは「いわきでも何かやりましょう」と言った。そしてその話の翌年、いわき地平線プロジェクトが動き出していったのである。

その頃の蔡さんは・・・・・