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From The Pan-Pacific
Project 
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いわき地平線プロジェクト

1993年10月
翌年2月からの作品制作に必要な廃船をさがすために蔡さんと二人で四ツ倉港へ行った。そこで、船首の部分が切り離された手ごろな木造漁船を見つけることができた。蔡さんの依頼を受け、私は持ち主である造船所へ行き無料で譲ってもらう約束をとりつけた。

翌年の2月になり再びその場所へ行った。行ってみると船体の部分から切り離された船首の部分がどこにもない。近くにいた人に聞くと邪魔になるから燃やしてしまったという話である。それを聞いた蔡さんの落胆ぶりはかわいそうなぐらいであった。

私は蔡さんに「大丈夫ですよ。なくなってしまったのは、もっと良い素材を見つけられるチャンスですよ」と元気づけた。それで今から探しましょうということで、いわきの7つの漁港をすべて回って探した。だが結局暗くなるまで半日かかっても適当な廃船を見つけることはできなかった。

私も蔡さんに良い素材が見つかるチャンスですよと言った手前正直困ったなと思っていた。最後に行った小名浜港には、同級生である友人の佐藤進君が潜水会社をやっていた。彼に蔡さんを紹介してみたくなりお茶を飲みに立ち寄った。


廃船を探しているいきさつを話すと「そんな廃船なら小名浜水産高校の前の砂浜にいくらでもあるという。蔡さんはお茶を飲むのも途中にすぐいってみましょうと元気づいた。

すでに夜の7時頃で外はまっ暗、懐中電灯を手にした3人が砂浜を歩いていくと砂にうずもれた廃船が3艘もあるではないか。蔡さんは、「これですよ、これですよ、ほしかったのは」と興奮していた。                   
その言葉を聞き私はよかったと思うと同時にほっとしたのだった。それまで、四ッ倉港にあった、船首が燃やされてしまったことに関して少々責任を感じていたのである。蔡さんといっしょに四倉のアトリエにもどる頃から、雨が降り出し風が吹いてきた。

蔡さんが、私に「志賀さん、波で船が流れてしまいませんか心配です」。という。私は数十年砂に埋もれていた船が流されるとは想像できなかったが、あまりに心配する蔡さんにそれではロープで固定しますかと提案。車で30分再び海岸へ。

すでに波は、荒くなっておりカッパを着て廃船の一部にロープをかけテトラポットにつないだ太さ1cm位のロープをかけてみて実感したのは象を糸でつなぐような気持ちだった。それでも二人は、できることをきちんとやるという意味での満足感でいっぱいだった。