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From The Pan-Pacific
Project 
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いわき地平線プロジェクト









美術館での作品製作と別に海上で発表する作品の製作があった。四倉から豊間の海上10kmに導火線を浮かべ、新月の晩に点火し、「地球から地球を見る」というものだった。当初この話を蔡から聞いた実行会スタッフは誰もがすでにテスト等を終え具体的作業だけが残っているものと思った。

実際にはそうではなかった。導火線は1本15mでありこれをつないで10kmの長さにするわけなのだが、防水はどうするのか、潮の流れで導火線は切れてしまわないか、海岸からどのくらい沖合いに導火線を設置すればよく見えるのか等。問題は次から次へと出てきた。

1回目の海上テストでは、用意された300mの導火線が100m燃え、途中で消えてしまった。防水に問題があったのだ。海岸から見てた人には、ほとんど導火線の光が見えなかった。導火線は3本束ねて使う予定が急遽6本に変更された。結果10kmの計画だったプロジェクトは5kmに縮小された。

5kmの長さにするために15mの導火線を接続する作業は、単純作業であったがミスの許されないものだった。火薬を取り扱うこの作業は食事係で力を発揮してくれていた柴野君の山の中にある工場跡地を借りて行われた。

美術館での作品展示の準備と重なり、昼は美術館、夜は導火線造りが毎日のように続いた。作業する人は全てボランティアであり、時間のある人が自由に参加するというものだった。様々なひとが集まった。作業場は火薬を取り扱うので火気厳禁だった。

寒さの厳しい2月、暖房のない夜間の導火線造りは想像以上に大変だった。
それにもかかわらず、壁に貼られた作業工程表の中にある参加者の名前は日を追うごとに増えていった。美術館の館長はあたたかい飲み物を差し入れにきた。ある晩はテレビの取材に来ていたカメラマンの樋口さんは、その日はカメラを持たずにボランティアとして作業に参加した。

山の中の工場跡地は外の寒さとは全く違い和気あいあいと目的を一つにした。人々の熱気でいっぱいだった。海上の作品発表当日、風が強くその日の実行を断念、翌日に変更することに決定した。連絡ミスで小名浜では実行を知らせる花火が打ち上げられてしまい、夕方広報車がスピーカーで中止を知らせてまわるというハプニングがあった。

翌日は風もおさまり、地平線プロジェクトの発表に最適だった。導火線造りに参加した、延べ数百人に及び人々の作業結果が形になる。自分の作業にミスはないか、5km燃え続いてくれるか、思いは誰も同じだった。

海岸には「地球から地球を見る」このプロジェクトを見る人々が5000人も集まった。